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パソコンが僕の人生を変えたページ

(59)人間万事塞翁が馬
人間はどこか自転車と似たところがあります。
自転車はどこかを目指して走っている間は安定し、バランスがとれています。
ところが走るのをやめるとぐらぐらします。

 私たちの心と身体は、目標を追求する仕組みに出来ていると思うのです。
だから個人的な目標がなくなると、不安になり一種の「喪失感」を覚えるのです。

人生80年時代。
60歳までを人生の前半戦。80歳までを人生の後半戦。
と言われ前半戦の総労働時間と後半戦の睡眠時間を除いて自由時間はともに10万時間と言われています。
与えられた人生の限られた時間は今日も、どんどん削り取られていくのです。
肩書きはなくなり、体力も落ちる。
がそんな自分と向かい合い、自己実現を続けなければならない人生の後半戦。
長い人生行路で碇を下ろすまもなく、次の航路を決める通過点としての「ていねん碇年」を考えながら、自分の人生を進まければならないのです。

自分の人生をどう運ぶかは人それぞれの選択なのです。
どんな状況におかれても、「今、目の前で起こる事すべてが自分の人生である」という実感を強く意識する事。
そうすれば、良い事にも、悪い事にも同じような「心のおき方」が出来るのである。

 アメリカの格言に「すべての事は最良に向かって起こる」(Everything happens for the best.)と言うのがあります。
「悪い事も、良い事も、それは自分の最良に向かって起こっている」と考えてみると、どんなときでも元気になれる自分を発見できるのではないでしょうか。

 有名な中国の故事に「人間万事塞翁が馬」というのがあります。
 塞翁という老人が大切にしていた馬が、山に逃げ込んでしまった。
村の人々は「気の毒。運が悪いのだ」と老人を慰めた。
すると老人は「運が悪いなんてどうしていえるのか」と言い返す。
暫くして、その名馬が何頭もの野生馬を連れて帰ってきた。
すると村民は、「なんて運が良いんだ」とうらやましがった。
すると老人は、「如何して運が良いと言えるのか」と答える。翌日、その老人の息子が野生馬に乗ろうとして振り落とされ、大けがをする。
近隣の人々は、「なんと運が悪い」という。今度は老人が「運は悪くない」と言い張る。
暫くして、戦争に出兵する為の徴兵があった。
健康な若者はすべて戦場につき、帰ってくるものは誰もなかった。
老人の息子は大怪我のお陰で徴兵を免れ、その村で生き残った唯一の若者になった。
この話は私たちに「自分の人生で何が幸運で、何が不運かは誰もわからない」という事実を教えてくれるのです。

良いときに浮かれるのは当たり前。
そこで気を引き締め、注意を働かせながら次の仕事に取りかかる。
逆に上手く行かないときは、ここを乗り切ればキット良い事があると信じてじっと耐えてみる。この態度が人生を上手く乗り切る秘訣と言われています。
あ・た・り・ま・え。

 たとえば、駅に着いたとき、電車がすっとホームに入ってくる。
するとぼくは「今日はついているぞ」と考える。
反対に、駅についたとたんに停車していた電車の扉がすっとしまって間一髪乗りそこねる事があります。
「なんて今日は運が悪いのだ」とがっかりすることがあります。
でもはたしてそうだろうか?電車がいつホームに到着するかはぼくがコントロールできないのです。
自分がコントロールできない事に一喜一憂する必要なんかないと思うようにしているのです。

 現在のような不確実の時代には、何が正しいか、一向に分からなくなることがあって、戸惑うことがしばしばだが、たゆまず夢の土を打ち込もうとしてもいいのです。

 失われた10年と人は言うけれど、それがいかに間違っていたかということは後で知り仰天するけれど、ほんとにごくごく僅かのインテリしか「間違っている」って知らなかったのですから。
反省ならサルでも出来るのです。
過ぎた過去の枠に収まった人間になる必要はないのです。
見栄や気取りで自分を飾る必要もないのです。
何事もまっすぐ、自然体で自分の目で見て、自分の心で受け止める事。
世の中には間違った事が一杯あるのですから、自分のアンテナを今度こそ大切にしようと思います。
理屈っぽくなりました。
02/03/09 





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