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(67)読売新聞に載ってました。
02/05/01 
東京・銀座8丁目の老舗レストラン、「資生堂パーラー」は今年、創業100年を迎えるそう。
明治35年、薬局内でソーダ水やアイスクリームの販売を初め、昭和初期に西洋料理に手を染めた同店は、新ビルを完成し、いまもなお、多くの客で賑わっています。

この資生堂パーラーの発端は明治35年、銀座八丁目角の西洋式調剤「資生堂薬局」だ。
店内の一角でソーダ水やアイスクリームを製造・販売する飲食コーナー「ソーダファウンテン」が始まった。
透明で泡の立つ日本で初めてのソーダ水(十銭)や、甘くて冷たいアイスクリーム(十五銭)は、当時ファション・リーダーだった新橋の芸者衆に大人気。
銀座の名物として話題を集め、森鴎外や夏目漱石の小説にも登場するようになる。
残念ながら薬局は大正十二年の関東大震災で焼失。
しばらくバラックで営業していたが、昭和三年の立替を機に、本格的西洋レストラン「資生堂アイスクリームパーラー」として再出発することになる。

資料によるとパーラーの定食(コース料理)は、昼が一円、夜は一円五十銭。
二階建ての客席中央は吹き抜けで、天井からシャンデリアが下がる。
二階正面オーケストラボックスから奏でられる楽壇の生演奏に耳を傾けながらの食事は、ハイカラそのものだった。
作家の川端康成、作曲家の団伊玖磨、女優の高峰秀子、歌舞伎の中村勘三郎や、多くの著名・文化人もよく訪れたという。

パーラーは、誕生日や結婚記念日などの特別の日に家族で美味しい食事を楽しむ場であった。
「昔の親は、子供に本物の料理を食べさせる大切さをよく知っていた。
子供ずれでも嫌な顔をされない高級レストランは今では珍しい。
百年前に流行の先端だった店は、ハイカラで人気を集めたながら、地動に客の立場にたった上質なサービスを培ってきた。
明示・大正・昭和と三世代にわたる顧客が多いのは、その裏ずけだろう。と。

父「喜平」の最初の就職先がこの「資生堂パーラー」で、昭和10年に千代田区九段に「パーラーさつき」を開店したのです。

懐かしく思いました。
本物の料理を食べさせる大切さ、、、、、。で思い出しました。
父は、よく母と一緒に食事にいってました。全て一流老舗店でした。
今でいえば、“老舗”しかお店はなかったのですから、、、当たり前なのです。
そして、母に食べさせて、本物の味を舌で覚えさせていました。
料理学校なんてない時代、そうやって覚えたのでしょう。
ぼく達が食べたものは、家庭料理でしたが、味は”一流”でした。





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