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人間、歳をとると物忘れがひどくなるというのは誰しもあることで、えーと、なんだったかな・・・、ということがよくあるというより最近はぐんぐん増えてきていて、「えーと、なんだったかな・・・」とか聞くと、家人に、「知らない!」といわれたりする。
あまり繰り返していると確かに「ご自由に」という感じになるだろう。
家の中だけでなく外に出ていても、仲間どうしで、えーと、何だっけ、というのをお互いに繰り返すことがあります。
友人とか仲間同士の場合、共通の知識を共通に忘れかけていることが良くある。
なにかのたとえばなしをしようとしていて、ある人物の名前が思いだせず、「えーと、ほら、あの、あれにでていた・・・」「そうそう、あれでしょう。あの、ほら、あれ・・・」とお互いに忘れてしまっている。
でもちゃんと「あれ」だというのはお互いに分かっているのだ。
分かっているのに、名前が出てこない。
でも意味はわかっているので、話は続けられる。
続くといっても名前は依然として出てこないわけで、名前の出ない意味だけが、「ほら、あれ、あの中で1人だけ、あれが・・・」「あれ誰だっけ」「いや、おっしゃることはわかります」というので、それからはもう「おっしゃることはわかります」の連発。
こういうのを最近「老人力がついてきた」と「老人力」の作家、赤瀬川源平氏が言っているのです。
普通は歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうのだけれど、そういう言葉の代わりに、「あいつもかなり老人力がついてきたな」といういはないではずいぶんと違うのではないでしょうか。
そうするとなんだか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいいのだそうです。
歳をとって物忘れがだんだんふえてくるのは、自分にとっては道の新しい領域に踏み込んでいくわけで、けっこう盛り上がるものがあるそうです。
物忘れ、これが覚える事以上に難しいものだそうです。
忘れようとしても忘れない事があるのです。
覚えようとするものは忘れがちなものだが,忘れようとするものはなかなか忘れられない。
人間の頭の中は必ずしも都合よく出来ていないようで,いったいどうなっているのか。
もちろんいつかは忘れる。
それが現実である。
だけどそれは「いつかは・・・」であって,本日ただいまより忘れる,というわけにはいかないのです。
努力ではムリなのです。
忘れたいのに忘れられない。
考えすぎると健康によくないのです。考えないのが一番。
「いつかは・・」とうことで放っておけば,そのうち地平の彼方から,物忘れ援軍がやって来る。
ふらふらと、よぼよぼと、心地よい忘却の小波を立てながらやってくるのは,いわずと知れた、"老人力"なのです。
このように忘却願望は、必ず時が解決してくれるのである。
"老人力"をバカにしてはいけないのです。
何事にも,"力を抜く"ことが求められます。
力を抜くということは,力をつけることよりも難しいいのです。
力を抜くには抜く力がいるもので,そのときに"老人力"が大いなる力になるのです。
これからの日本は,いわば"老人力"あふれる高齢化社会になるのですから。
"老人力"を持って大いに頑張ろう!
02/03/11 |
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