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パソコンが僕の人生を変えたページ

(135)心元気ですか
春はいつの間にかやってくるそうです。
そのいつの間にかの部分、つまり春の前準備の部分はなかなか見えないけれど、あっと気がついた時には春が来ているような気がする。
風は見えないけれど、木々をそよがせたり、波立たせたり、目に見えるものの様相の中で感じさせる。
私たちは風に包まれ、又自らの中にも風を持って生きているといってもいい。
立春から今約一ヶ月、♪春は名のみの風の寒さや・・・・・ではなく、優しい風に変わってきた。
間もなく雛祭り。
「菱餅の三色・・・白と緑と桃色の意味は雪が溶けて、草が萌えだし、花が咲く・・
その春の喜びを餅につきこみ、娘や子供たち、そして家族の一年の健康と幸せを祈る」行事。
昔から節句の行事に、日本人のくらしの文化とゆとりを感じたという元アナウンサー加賀美幸子さん。
いま「ゆとり」ということが問題になっているが、元々「ゆとり」とは、時間や空間や金銭のゆとりではないことを多くの人々は知っているはずである。
生活の時間を削ったり、旅行をしたりではなく、豊かに満たされた、たっぷりの内容と心につつまれてこそゆとり・・・と、以前から人々は解釈していたはずである。
同じ夕日を見ても何も感動しない人と感動する人との違いが「ゆとり」ではないだろうか。

今頃の季節、「仰げば尊し」を思い出す。
だが、「師の恩」とか、歳月を思い出すのでもなく、あの時に歌った「いざ、さらば」という言葉が、まことに、その通りの人生だったなぁと思うだけだ。
「いざ、さらば」すれば、振り返って懐かしがったり恨んだりするようなこともなくなる。
これからは、「ゆとり」をもって、こころ元気に生きたいだけだ。
加賀美さんがさらにいう。
「言葉もたっぷりあったほうがいい。言葉はいくらあっても邪魔にならない。
その中から必要な言葉を選び、その上で自分らしく表現していく・・・。
元々ゆとりとはそういうものではないだろうか。
何があるかないか判らない時勢。
慌てずゆとりの心で見据えて生きたいものです」と。

「言葉」を「パソコン」に置き換えると自分の「ゆとり」を探すことが出来るような気がする。
04-3-1





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